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日露戦争

日露戦争は第一次大戦の前哨戦とも言え、新兵器である機関銃と塹壕・堡塁を組み合わせた本格的な野戦防御陣地が構築された初の大規模近代戦争であり、迫撃砲のプロトタイプである小型軽量の近接支援火器も本戦役で初めて登場する。

旅順における日本第3軍の死闘はつとに名高いが、最前線では敵の塹壕に至近から爆薬を投擲しあう肉弾戦が展開され、両軍ともに甚大な損害を出していた。これを憂慮した日本軍攻城砲兵司令部の今沢義雄中佐が、より遠方へ爆薬を投射するために打上花火の仕組みを応用して即製の擲弾発射機を考案し、「敵に迫って砲撃する」という意から迫撃砲と名付けられた。

このとき各部隊で急造された擲弾発射機は、木製の筒に竹の箍(たが)を連ねて補強した口径12~18cmの砲身をもち、黒色火薬の装薬に導火線で点火するという簡素な構造であった。また、砲弾と装薬が分離しており、第一次大戦で登場したストークス型迫撃砲のようにカートリッジ方式ではない。

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なお、この木製砲は後に技術審査部における鉄製の十糎半携帯迫撃砲の開発へと発展し、明治38年8月には下志津原で射撃試験が行われた。しかし、砲身が破裂して死者3名と負傷者多数を出す事故を起こし、改良を模索しているうちに日露戦争が終結してしまい実戦には間に合わず開発中止となった。これ以降、第一次世界大戦が始まるまで日本における迫撃砲の開発は停滞することになる。

日本軍は他にも口径7cm・12cm・18cmの迫撃砲を開発していたことが記録に残っている。この12cm迫撃砲は、幕末に購入した旧式の十二栂臼砲の砲弾を再利用していた。また、明治38年付の資料には、後の擲弾筒を彷彿させる口径44mm・砲身長200mm・全長329mmという軽迫撃砲が記載されている。

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2009年11月30日 00:24に投稿されたエントリーのページです。

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